コップの中にお箸を入れるのはマナー違反? ―自分の常識、彼らの非常識―【雑記】


自分の某twitterアカウントを眺めていたら、おおよそ5年前のツイートに
森山直太朗の「生きてることが辛いなら」という曲のyoutubeのURLが貼られていました。

生きていることが辛いなら、生きてることが辛いなら何をすればいいんだろうかーとか、
ここ数年の内に自分は一体何をしていたんだろうかとか、そんなことを湯船に
浸かりながらぼんやり考えていました。

ここ数年は、自分にとってもなかなか辛いことも多かったんじゃないかと思う。
色々と大変だったことも辛いことも多かったし、数年経っても解決できていないことも
山ほどあります。
その内の一つがコミュニケーションの問題。この問題は、別に自分がコミュ障気味だとか
そんなレベルの問題じゃないのです。
コミュニケーションの問題、それは、人と意思疎通(つまりコミュニケート)することは、
案外難しいという問題です。。
以下はコミュニケーションの問題に関して書き連ねたものです。


自分と育った文化圏が近い人間、培ってきた常識が自分と同じものである人間、
そして信条とするものが同じ人間、これらの人間と意思疎通することは、
正直な話、非常に簡単である。
では、そうでない人間と意思疎通する場合はどうか。
自分と育った文化圏が似通っていない人間、培ってきた常識が自分と
あまりに違う人間、信条とするものが自分と全く違う人間、これらの人間と
意思疎通することは容易ではないのだ。というか、ひっじょーに難しい。

なぜ自分と常識が異なる者との意思疎通が非常に困難なのだろうか。
それは自分と常識が異なる者とでは、「普通」と思えることが全く違うからだ。

自分と育った文化圏が似通っていない人間。培ってきた常識が自分と
あまりに違う人間。信条とするものが自分と全く違う人間。
例えば。僕にとってのそういう人間というなら、ずばり言うなら
飲み終わったコップの中に箸を入れるような人間がそれに当たるだろうと思う。
食べ終わった丼をテーブルの上に伏せた状態にすること(いわゆる「伏せ丼」)も
多分僕にとってそれに当たるだろうと思う。

飲み終わったコップの中に箸を入れる人間、伏せ丼をする人間。
そういう人間を「変わった人間」「常識がない人間」「マナーがなってない人間」と
非難するだけなら、とても簡単だろう。
だけど問題はそこじゃない。その理由は相手の立場に立ってみることで初めて理解できるだろうと思う。

例えば。飲み終わったコップの中に箸を入れるような人間は、
食器を片付ける際に簡便のためにコップの中に箸を入れる習慣を持つ
家庭の中で育ってきたとしよう。家庭の中で「普通」とみなされていることを子供は
「普通」だとみなすので、飲み終わったコップの中に箸を入れる行為は食器を
片付ける際にコップの中に箸を入れる行為を「普通」だと思って育っている。
だけどその行為は世間一般の常識から考えると「普通でない」行為であるとする。

そうすると、コップの中に箸を入れる子供は、片付けの際にコップの中に箸を
入れる行為を、世間から「普通じゃない」と非難されるはめに陥ってしまう。するとここで
その子供は困惑することになるのだ。なぜ困惑するのか。
それはなぜならその子供にとっては片付けの際にコップの中に箸を入れるという行為が
「普通」であるからだ。自分が今まで「普通」と教えられてきた行為を、「普通じゃないよ、それ」
と非難されても、全く理解できないのも無理はないのである。

自分にとって「普通」である行為が他者から「それは普通じゃないよ」と意見されて、
「えっ、そんなの普通でしょ。何言ってんの」と思ってしまった経験を持つ方は
案外多いんじゃないかと思う。
(という経験をされた方は案外多いんじゃないかと
思う。僕もその内の一人である)

上述したコミュニケーションの問題の本質はそこにある。

つまり、自分にとっては「普通」な行為が、ある他者にとっては
「普通でない」行為だと受け取られる場合がある、ということだ。

この現象が、常識の違う他者とのコミュニケーション(意思疎通)を一層
困難にするのだ。

しかし、それでも常識の違う他者と意思疎通をしようと思うのなら、
どうすればいいだろうか…。

そう、こういう経緯を踏まえた上で読み返して欲しいのが、前述した
コミュニケーションの問題、それは、人と意思疎通(つまりコミュニケート)することは、
案外難しいという問題である。

自分と常識の違う他者との意思疎通に関する問題を、どのように解決していけば
良いだろうか?その方法について、僕はここ数年の内にあれやこれやと本当に
悩んだ。そして、その方法について僕は一筋の光を見出した。

自分と常識の違う他者と意思疎通をする方法の一つは、
他人と自分は常識が違うということを自覚するということだ。
常識の違う人間として、つまりは異文化コミュニケーションの一つとして、
尊敬の念を持ちながら常識の違う他者と接することができれば、
多少の困難はあっても、そんなに難しいことでなければ磯疎通は
可能である。(さながら外国人と話している気分!)

自分と常識の違う他者と意思疎通する方法の二つ目は、
言葉といった文化的文脈に依存しがちなコミュニケーションツールを使わずに、
身振り、手振り、簡素でわかりやすい感情表現、感嘆文といったボディランゲージ寄りの
コミュニケーションツールを使うことで、意思疎通を簡便にするという方法である。

これらの二つの方法を見出すことによって、僕は
自分とは常識の違い人間と意思疎通することが格段に容易になったように
思います。まあ、ここまで長々と書いてきましたが、まとめると要はノリがあれば
大体の人と意思疎通ができるよ!という話でした。
こうして、僕の抱えていた問題の一つである「コミュニケーションの問題」は、
長い年月をかけてだいぶ解決に近付いてきました。(かなりマシになった!)


だけど、この方法を見出す過程は、決して生半可なものではありませんでした。
毎日毎日コミュニケーションの問題に苛まれて、本当に辛かったです。
(今でも若干辛い!)
生きていることが辛いなら、どうすれば良いのでしょうか。
お風呂の中での脳内会議の結果によれば、どうやら
ライブハウスに行けば全て解決するらしいです。

ライブハウスの中で思いっきり騒いで、ぴょんぴょん跳ねて、酒を飲む。
そうするとアドレナリンがぼろぼろ分泌されるので、生きていることの辛さが
だいぶ和らぐとも思います。
だから、毎日死にたい死にたい、もっと本当の自分になりたい、自分らしくありたい!
と思っているような人は、是非ライブハウスに行くべきだと思います。というか、行こう!

また、生きていることが辛いのであれば、いっそその生き辛さの全てを自覚して、
自分らしく生きればいいのだと思います。
とはいえ、自分らしく生きるということはこれまた非常に難しいことです。
世間体というものも気になりますし、何よりが自分で自分の行動を制限かけてしまっている
場合が非常に多いのです。
だけど、その生き辛い状況の中でも、しっかりと自分という人間を見つめなおして
自分らしさという要素を自分の人生設計に組み込むことができたのでれば、
きっと、「生きてることが辛い」なんて状況にはらないと思います。(あくまで予想)
自分らしく生きる。自分が心の奥底からやりたいと思っていることを自分らしくやる。
そうしていくと、いずれ自分を受け入れてくれる然るべき場所に巡り合えて、
そして「生き辛さ」も解消していくのではないかと、そう思った2月1日の深夜なのでした。

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田中佐藤

田中佐藤

インターネットお絵描きマン。VIP発のWEB漫画投稿サイト「新都社」で漫画や小説をかいています!最近のマイブームは「民俗学」!エレキギターも好きです。記事へのコメント待ってます!気楽な気持ちでコメントどうぞ!



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    コメント

    1. 落ち葉 落ち葉 より:

      クソニートだから一瞬マジで2月かと錯覚しちゃったあぶないあぶない
      なんというか文章に味があるよね絵もそうだけど

    2. 田中佐藤 田中佐藤 より:

      落ち葉さん久しぶりです!
      自分のブログに書いたものを適当にコピペをして持ってきちゃったんで、二月はその名残り…!

      味ですか…
      なんか僕も前ネットで味があるって言われてたんですけど、僕っぽい味って一体どういうものなんですかね…
      自分でもよくわかんないです