決定性チューリングマシン停止性の意義


 今でこそ計算理論は、証明可能と反証可能とイレギュラーを持ちます。この俯瞰のきっかけは幾人らの仕事によって成されました。
例えばKurt Gödelに見られる不完全性定理、Alan Turingに見られる決定性チューリングマシン(DTM)停止性。

数学的対象は、このようなイレギュラーを除く分析の限りでないのでしょうか?実証・形式主義との関係は?

DTM停止性の意義
 集大成足るDTM停止性は、次世代理論Uを思わせます。例えば自分を公理とするDTMは、有限期間Fだけ定理化します。FでDTMが抽象化される場合、FはU(DTM)で集合論的な再帰からのパラドックスを伴いません。これにより、Fは集合論的にUから計算されます。

すなわちUは、想像以上に抽象的で簡潔ゆえに、定義が難しいDTMですなぜならば、その抽象性により具体性の限りでないからです。例えば、案や候補が多すぎて、解決の鍵が解決者であるような

 このようにDTM停止性は、反証主義では盲点であり得ます。全ての対象が証明され、反証の余地も残される中で、Fでは証明も反証も抽象化され、どちらも量子的に同じ項で示されるならば。

結論
 DTM停止性だけでも、計算理論の未だ大きな影響力を思わせます。ここ100年の技術についての革新論さえ、その影響下にあるのではないでしょうか。証明や反証への見方さえも、変わり得るからです。

例えば未来は、これまでのいわゆる宗教や科学によって提唱されてきた、様々な認識の限りでしょうか。創世、終末、知性、理性、超感覚、人体改造、ユートピア、ディストピア、ポスト~。言葉への接し方が変わるならば、未来も未来予測も変わり得ます。

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punipuni

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哲学的な事を書いて行きたいです。



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    コメント

    1. MK166 より:

      なるほど、わからん